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27件の議事録が該当しました。

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1998-03-19 第142回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第1号

高地性弥生集落四隅突出型墳丘墓がセットで見つかった例としても大変珍しいということが言われて、さまざまな研究者学者が当地を訪問して、さまざまなコメントを発表しているわけですが、島根大学の田中教授が、五十年前の登呂遺跡以上の発見で、弥生大乱時代集落構造を知ることができる我が国唯一遺跡だ、現地がなくなっては国の成り立ちの研究が数十年もおくれをとる、こういう危機感を募らせるコメントを発表しております

中林よし子

1990-03-29 第118回国会 参議院 文教委員会 第1号

同校を後に、国の特別史跡である登呂遺跡出土品を展示した登呂博物館、県が生んだ染色の第一人者である芹沢ケイ介の作品とコレクションを展示した芹沢ケイ介美術館視察を最後に、派遣日程を終えました。  なお、本報告で詳細に触れることのできなかった静岡県の要望につきましては、本日の会議録の末尾に掲載していただくようお願い申し上げます。  

山本正和

1978-03-01 第84回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第3号

私、考古専門家でございませんので、その価値がどっちが高いかというようなことはなかなか簡単には申せないと思いますが、杉原先生お話など伺いますと、今度の遺跡は非常に方式が違う、同じたんぼであっても、登呂遺跡の場合には溝が掘ってあって、区画整理されたたんぼである。この場合には非常に珍しい不整形の形であって、水のとり方も全然違っておる。

犬丸直

1978-03-01 第84回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第3号

そのために大量の火山灰がこの地域に降り注いだわけでございまして、そこに住んでおられた方々にとっては大変不幸な出来事だったと思いますが、しかし、それが登呂遺跡以上に——約千七百年くらい前ですね。弥生後期水田跡あるいは住居の跡、墳墓跡というものを大変よい状態で保存をしてきた。そういうことはわれわれにとってみれば大変ありがたいことといいますか、よかったことではないかと思います。  

山口鶴男

1977-04-26 第80回国会 参議院 内閣委員会 第8号

さらには、古く登呂遺跡であるとか、あるいはまた岩宿遺跡の石器が発見されたとか、こういうふうにして日本人の祖先が、非常にまだまだ未開発時代農業生産をやり、あるいはその生産力に応じて国の形、国家権力、こういうものがそれぞれ変わりもし、また進んできたかということもわれわれに最近教えてくれているわけです。昔の人よりもわれわれの方が、どちらかと言えば昔のことをよりよく知っているわけですね。

河田賢治

1972-03-21 第68回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第2号

大臣、せっかくでございますので——大臣の地元の登呂遺跡に匹敵するような遺跡伊場であろうというふうにいわれております。登呂は御配慮いただいてああいうような形になっておりますけれども伊場遺跡についても、開発保存調和の中で史跡公園のようなものをつくりたいというようにいわれております。

斉藤正男

1972-03-21 第68回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第2号

保存するとするならば大きな水たまりをつくるか、あるいは登呂遺跡のような模型をつくるかという形で保存する以外に方法がないだろうと思います。  いずれにいたしましても、あなたがいまおそらく希望しておられるところは、開発保存との調和をとってくれというところに、これは相矛盾するあれがありますけれども、切実な願いがこもっていると私は拝聴いたしております。

高見三郎

1970-09-08 第63回国会 衆議院 文教委員会文化財保護に関する小委員会 第1号

それは登呂遺跡の問題と同じように、発掘をしたものはどうせ木だとかあるいは種だとかもみだとかいうふうなもので、そんなものは空気にさらされたら完全に風化してしまうわけです。しかもあの発掘をした切断面というふうなものは、土の色で、ここまでがもと水田の上であったとか、あるいはこの土の色をしているところがもとみぞであったとかいうものだったわけです。

小林信一

1970-09-08 第63回国会 衆議院 文教委員会文化財保護に関する小委員会 第1号

登呂遺跡のように、一たん発掘をして、そしてそれをまた土をかぶして埋没さしておくというような形でもって保存をするのも、そのとき私ども一緒視察をしたはずです。ところが、岡山のこの総合グラウンドの中の発掘をしたものは、一体その後どういうふうに処置してあるのか、それが私はまず第一番心配なんです。  

小林信一

1970-07-10 第63回国会 参議院 文教委員会 閉会後第1号

多田省吾君 まあ長官が新聞等に発表されているのを見まして、非常に前向きのお考えだと思ったのですが、いまのお話を聞きますとなかなかたいへんだというようなことで、まあそれに違いなかろうと思いますけれども、いままでの現状が、あの文化財保護法ができてからすぐに静岡県の登呂遺跡に工事がかかる、あわてて中止命令を出したところがもうすでにセメントの流し込みが終わったとか、そういう事態がもうずっとたくさんあります

多田省吾

1970-05-12 第63回国会 衆議院 建設委員会 第18号

実際問題として先ほども申し上げましたが、登呂遺跡南側、あれも水田ですね。だけれども、実際問題としてあなたたちがやろうと思ったところが、たいへんな遺跡が出たでしょう。それで結果的に、あれは高架になりましたね。道路公団としてはもうばく大な損害ですよ。事前調査をしていたら、そんなことは実際問題としてはないのです。

卜部政巳

1969-06-24 第61回国会 参議院 文教委員会 第18号

実際にいままでの例を見ましても、あの登呂遺跡というものをごらんになったろうと思いますが、どうもあれは大した残し方じゃございませんで、あの登呂遺跡につきましては、いろいろな方が研究書を発表しております。調査報告書もございます。ことに今度の岡山のほうの第二回の発掘団長をなされた八幡先生登呂発掘の記録というものは、私は非常にりっぱなものだと思います。あのりっぱな著書の何分の一も残されていないのです。

今日出海

1968-11-29 第59回国会 参議院 文教委員会 閉会後第4号

たとえて申しますれば、たとえば遺跡である登呂遺跡であるとか、あるいは千葉貝塚だとか、あるいは宮崎県の西都原古墳群とか、その他たくさんございますけれども、そういうような施設につきましては、都市計画のほうからむしろ積極的に緑地または公園としてこれを指定いたしまして、それをむしろ積極的に都市施設として取り入れることによりましてこれを保存するというようなことを考えてまいっておるわけでございます。

大塩洋一郎

1968-11-29 第59回国会 参議院 文教委員会 閉会後第4号

説明員安達健二君) 遺構としましてはあぜであるとか、それからみぞのようなものでございまして、これは弥生時代後期になりますが、登呂遺跡とかにはございます。それから後期ではなくて中期でございますと滋賀県の大中ノ湖南遺跡というのがございます。こういうところではいわゆるあぜとか、それから水路遺構が出ているわけでございます。

安達健二

1968-10-04 第59回国会 衆議院 文教委員会 第5号

和島参考人 ただいま杉原教授が申されたとおりでございますが、一口に申しますと、遺跡はそれぞれみんな人間が顔つきが違うように個性がございまして、津島遺跡登呂遺跡と比較いたしますと、登呂遺跡は国の特別史跡になっておりますが、そのゆえんは、あそこでは弥生式後期集落と、それからその生産の場である水田がまとまって調査もでき、保存できる。そういう遺跡日本でただ一つしかいままでございませんでした。

和島誠一

1966-07-27 第52回国会 衆議院 文教委員会 第1号

こわす際に多少日時と予算をかけて一ぺんよく調査をすれば、学問上非常に貴重な事実が十分つかめますし、それから発掘物も出てきましょうし、あるいはこれは非常にユニークな、また代表的なものだから何としても残さなければならないというものが、当初の予想とは違って新たに発見されるという事態もありますし、そういう場合には、先ほどの登呂遺跡ではありませんけれども計画についてその部分十分検討をしていただくということも

長谷川正三

1966-07-27 第52回国会 衆議院 文教委員会 第1号

それから次に、これから本論に入るわけでございますが、それぞれ公団関係者は、必要な調査費等を支出して、文化財があるというところについては御調査をなさり、登呂遺跡のように、計画変更までされまして、また県側協力も得てこの保存に最大限の努力をされておる、こういうたいへん大きい成果もあがっておるわけですが、その反面、私が幾つか、これもほんの九牛の一毛ではないかと思いますが、承知しておる範囲だけでも、実は貴重

長谷川正三

1966-07-27 第52回国会 衆議院 文教委員会 第1号

○長谷川(正)委員 私も心配しておりました学問上非常に貴重な遺跡であります登呂遺跡が、途中で設計変更といいますか、計画変更までしていただきまして、一応ある程度保存の道が講じられ、また、発掘調査においてかなり貴重な事実が明らかにされたということは非常によかったという気持ちでございます。

長谷川正三

1966-03-01 第51回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第5号

今日、最近の問題としても、多くの人々に憂いを深くさしております問題だけでも、関東は千葉県の加曾利貝塚の問題、あるいは関西にいきますと、田能遺跡の問題、藤の森、山道山古墳の問題、静岡登呂遺跡の問題、中国にいきますと広島の三次市にあります太郎丸古墳の問題、山口県にいきますと、本土にたった一つといわれておる石城山の神籠石遺跡の問題あるいは西日本最大といわれておる下関綾羅木郷台地彌生遺跡の問題、こうした非常

山田耻目

1965-08-11 第49回国会 衆議院 文教委員会 第2号

そこでできるだけこの遺跡保存に万全を尽くすために、次善の策として、道路公団道路計画は、登呂遺跡あたりの部分ですと、地表に盛り土をしましてその上に道路をつけるというような計画のようでございますが、そういう計画のままで道路をつけてしまいますと、遺構が実際問題として将来研究できなくなる、極端に言えば破壊されるという結果に相なりますので、重要な遺構部分につきましては、たとえば道路高架といたしまして

村山松雄

1965-08-11 第49回国会 衆議院 文教委員会 第2号

第一は、過般新聞でたびたび報道されております登呂遺跡の問題ですが、最近、発掘調査の結果、学問的にも非常に貴重な幾多の新しい発見がなされているように新聞報道等で拝見しておりますけれども、これにつきまして、ごく要点だけでけっこうですから、その新しい成果並びに新しい発見と申しますか、発掘に伴って、この貴重な文化財保存に対して今後どのように配慮をされようとしておるのか、その点についてお伺いします。

長谷川正三

1965-08-11 第49回国会 衆議院 文教委員会 第2号

○村山政府委員 登呂遺跡につきましては、指定地南側東名高速道路が建設されることになりまして、指定地外でございますが、地下には登呂遺跡の延長としての遺跡があるのではないかという予想もとに、道路公団協力を得まして、静岡県の教育委員会考古学者等協力も得まして、去る七月二十日から八月十日まで二十日間にわたりまして発掘調査をいたしまして、その結果東名高速道路予定地地下に南北に走る水田水路や水門

村山松雄

1965-08-05 第49回国会 参議院 文教委員会 第2号

小林武君 私の質問したいのは二つございまして、一つ登呂遺跡の問題、一つ加曽利貝塚の問題です。初めに登呂遺跡の問題をちょっとお尋ねいたしますが、その前に、八月十五日、私は静岡市に参りまして、登呂遺跡について一応見てまいりました。その際、道路公団静岡県の責任者の方ともお会いしたし、それからさらに現場の出張所の責任者とも会いました。

小林武

1953-02-12 第15回国会 衆議院 文部委員会 第9号

それから下の方へ参りまして、アラビア数字の四番の埋蔵文化財保存施設でありますが、これは長野県の平出遺跡及び静岡県の登呂遺跡保存施設を行いたいと考えております。新しく来年度あげまする費用は項目は大体以上のようでありますが、補助金経費の中心といたしましては、二枚目の紙の一番初めに載つております文化財保存事業費でありますが、これが約九千万円の増額になつております。

森田孝

1950-11-13 第8回国会 衆議院 文部委員会 第10号

ただ一点登呂遺跡につきましては、大体今年度で予算が打切られておるようでありますが、これは関係者の言葉をかりて申しますと、いま一歩進めまして——その当時の墓場の状況を知るためには、いま一歩進んで発掘をするならばという意向がありますので、できればそれが移されるまで国家補助を要請するという声が多かつたように思うのであります。  

若林義孝

1950-11-13 第8回国会 衆議院 文部委員会 第10号

森田説明員 御承知の通りに、登呂遺跡埋蔵文化財発掘という点からいたしますと、文化財保護委員会の主管になつておるのでありますけれども、従来の発掘事業そのものは、日本学術会議学術研究として、研究費をもつてこれを発掘いたしておるのであります。従いまして、現在におきましても学術研究会議の方の研究、つまり文部省の学術研究の部面において、これが発掘調査を遂行しておるのであります。

森田孝

1949-05-11 第5回国会 衆議院 文部委員会 第15号

かくして二十九日夜大阪駅発東上、翌三十日静岡登呂遺跡を踏査いたしました。この遺跡につきましては本委員会におきましてしばしば紹介せられましたので、いまさら申し上げる必要はないと存じますが、とにかく農耕地までも含めた古代聚落遺跡は実は世界でもまれなものでありますので、ぜひとも予定通り完全発掘を行いたいものであります。  

水谷昇

1949-04-12 第5回国会 衆議院 文部委員会 第7号

しかもこの科学研究費というものは、今回日本学術会議ができまして、科学者総意によつてこの研究費をどのように能率的に有効に使うかということを研究することになりましたので、この登呂遺跡についても、どの程度経費をこの方面に振向けるのがいいかということは、これは研究者総意によつて、ことに人文科学方面研究者の價にこの價値を知つておられる方々のお心持によつて研究費を支出する方がいいのではないかという点もありますので

茅誠司

1949-04-12 第5回国会 衆議院 文部委員会 第7号

○岡(延)委員 登呂遺跡調査会補助の問題でありますが、この登呂遺跡調査会に対する補助の問題は、第一回國会において請願が採択されて以來、文部委員会においてはこれに対して重大な関心を拂つてつたのでありまして、その具体的現われとしまして昭和二十三年度から五箇年計画でもつてこれに補助して行こうということになりまして、昨年はこの調査会に五十万円の補助が行われておつたのであります。

岡延右エ門

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